君にちかふ 阿蘇の煙の 絶ゆるとも 万葉集の 歌ほろぶとも
歌人の吉井勇の歌集「流離抄 」を棟方志功が板画にしたものがある。安川電機の棟方カレンダーにそれがあるだろうと調べたところ1988年に「流離抄 板畫巻」として出されていた。
ヤフーオークションに出品されていたのを 2,500円で落札したのが右のもの。今から29年前のものにもかかわらず、和紙に印刷された板画はしっかりとしている。
流離抄の板画は31柵あるが、カレンダーは表紙を含めて13柵だ。
1988年のカレンダーは必要ないから、板画を剥がして台紙としてのカレンダー部分は捨てた。
表紙の短歌は、万葉の柵
阿蘇山が死火山になっても万葉集が誰にも読まれなくても私は君を愛し続ける、といった恋歌ですな。スケールが大きい。愛だの恋だの好きだのの言葉がないのがすごい。
吉井勇の歌集「流離抄」は1946(昭和21)年に発行された疎開時代の歌を集めたものだが、棟方志功の「流離抄 板畫巻」は、明治の頃からの吉井勇の優れた歌を選んで板画にしたものである。
1988年1月の板画角屋 の柵
島原の 角屋の塵は なつかしや 元禄の塵 亨保の塵
2017年の安川電機カレンダーの1月、2月は黒の単色でパッとしない。2月のそれは板画部分を剥がして、これに替えた。
夕刻、勤めから戻った妻がこれを見て驚くだろう。長崎県の島原が歌に読まれていると思うに違いない。
島原の角屋って何の店? と、島原出身の妻に私はしれーっと聞いてみるつもりだ。島原の角屋とは→角屋(すみや)保存会
島原は島原でも京都の島原(花街があったところ、島原遊郭)のことだ。島原の名の由来は「島原の乱」と関係があるといわれている。
棟方志功の板画の文字を見て、長崎県出身の妻は「なつかしや」を「なつかしか」と歌うかもしれない。
だが、妻は当たり前にこの歌を詠んでいた。いうには、南島原市には角屋 と呼ばれる地区があるというのだ。
【酒ほがひ 後の恋 明治43年9月刊】
歌人の吉井勇の歌集「
ヤフーオークションに出品されていたのを 2,500円で落札したのが右のもの。今から29年前のものにもかかわらず、和紙に印刷された板画はしっかりとしている。
流離抄の板画は31柵あるが、カレンダーは表紙を含めて13柵だ。
1988年のカレンダーは必要ないから、板画を剥がして台紙としてのカレンダー部分は捨てた。
表紙の短歌は、万葉の柵
阿蘇山が死火山になっても万葉集が誰にも読まれなくても私は君を愛し続ける、といった恋歌ですな。スケールが大きい。愛だの恋だの好きだのの言葉がないのがすごい。
吉井勇の歌集「流離抄」は1946(昭和21)年に発行された疎開時代の歌を集めたものだが、棟方志功の「流離抄 板畫巻」は、明治の頃からの吉井勇の優れた歌を選んで板画にしたものである。
1988年1月の板画
島原の 角屋の塵は なつかしや 元禄の塵 亨保の塵
【祇園歌集 島原 大正4年11月刊】
2017年の安川電機カレンダーの1月、2月は黒の単色でパッとしない。2月のそれは板画部分を剥がして、これに替えた。
夕刻、勤めから戻った妻がこれを見て驚くだろう。長崎県の島原が歌に読まれていると思うに違いない。
島原の角屋って何の店? と、島原出身の妻に私はしれーっと聞いてみるつもりだ。島原の角屋とは→角屋(すみや)保存会
島原は島原でも京都の島原(花街があったところ、島原遊郭)のことだ。島原の名の由来は「島原の乱」と関係があるといわれている。
棟方志功の板画の文字を見て、長崎県出身の妻は「なつかしや」を「なつかしか」と歌うかもしれない。
だが、妻は当たり前にこの歌を詠んでいた。いうには、南島原市には