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カテゴリ:映画の研究 > 「愛と哀しみのボレロ」の研究

 2019年9月25日(水)に NHK BSプレミアム BSシネマで放送したフランス映画「愛と哀しみのボレロ」を観た。放送時間は、午後1時00分~午後3時58分だった。数十年前にテレビで観たことはあるが、細部の記憶はなかった。今はハイビジョンであるから見直そうと思ったのだ。

「愛と哀しみのボレロ」は第二次世界大戦、ナチス・ドイツのフランス侵攻と占領の1940年から、戦後の1980年にわたる物語である。世代をまたぐ物語でもある。
 第1世代の親が生んだ子供が、戦後になって成長すると親をやった俳優がその役をやるので、観ている私としては混乱する。また父親あるいは母親が存命なのに、その子供や孫の役を父親あるいは母親をやった俳優が兼務する。さらに混乱する。

 映画は1981年のカンヌ映画祭で公開された。上映時間は、3時間4分(184分)である。ところが、BSシネマで放送したものは、実質2時間56分=176分だった。どこか8分のシーンをカットしたのだろうか?
 調べてみると、この映画はフランスでテレビ放送され、それは1回の放送時間が52分で全5回やったという。52分×5回=260分で、4時間20分だったそうだ。それが映画では3時間4分であるから、1時間16分カットされたことになる。
 黒澤明の1951年の映画「白痴」は、当初、前後編として4時間25分(265分)で制作されたが制作会社の松竹は長すぎるから短縮せよといった。「どうしてもカットしたいのならフィルムを縦に切ればいい」と黒澤は激怒した。3時間2分にしたが、結果として2時間46分(166分)となった。1時間39分カットしたのだ。
「愛と哀しみのボレロ」も似たいような長さのものを3時間4分にしたのだから、監督のクロード・ルルーシュも黒澤明のように配給側からの圧力に屈したのだろうかと興味を持った。

完全版  テレビ放送版である4時間20分の「愛と哀しみのボレロ」が日本ではレーザーディスク(以下、LD)とVHSのビデオテープで発売されていたのを知った。LDは、1995年5月21日の発売で3枚組(5面)である。
 さすがフランスは文化国家であると思った。黒澤明の「白痴」のカット前の4時間25分の完全版は存在しない。3時間2分版もない。今年の文化功労者の映画評論家の佐藤忠男はその著書「黒澤明の世界」で、
「白痴」は、封切当時、たしか三時間余の版と、二時間四十六分の版と二通りつくられたはずであり、私は、新潟松竹という映画館で、三時間余の版を見て感動したものである。しかし、ライブラリーに所蔵されていたのは二時間四十六分の版だった。あのような偉大な作品が、より不完全な版でしか保存されなかったことを、日本の映画界は恥としなければならないと思う。
「白痴」の完全版は観ることができないが、完全版という「愛と哀しみのボレロ」のテレビ放送版を観たくなった。そのLDがヤフオクで800円で出品されていたから落札した。

 フランスの Amazon では4時間版が DVDで売られているが、その日本版のDVDはない。
「愛と哀しみのボレロ」の原題は「LES UNS ET LES AUTRES」だ。英語にすると「ONE AND THE OTHER」となる。フランスでは「百人いれば百通りの人生」という意味だそうだ。映画の中でタイトルのまま歌として歌われている。字幕は「自分たちと他人」となっている。
 4時間20分版を観たければ、日本のLDかフランスのDVDを手に入れるしかない。私が800円で購入したLDを観て、どのような箇所がカットされたのかを記述してブログで公開するのもいいかと思った。
 BSシネマの録画をDVDにしたものと、LDの「完全版」を比較のために2つのディスプレイに写してチェックしていくと、カットされたところ以外、映画の基本的なところで大きな違いがあることに気付いた。
 その1つは、画面アスペクト比の違いだ。ハイビジョンのなかった頃のテレビ放送版は4:3の比率だが、シネマスコープの映画版よりも広く上下が写っているのだ。
 そして、もう1つ、黒澤明の「白痴」のように、「愛と哀しみのボレロ」は上映時間が4時間20分版、3時間4分版、2時間56分版と3種類あるのだ。
 それらの違いが気になるから「愛と哀しみのボレロ」を研究テーマにした。

映画「愛と哀しみのボレロ」の研究
その1 画面アスペクト比の違い
その2 BSシネマ版は4%速い
その3「愛と哀しみのボレロ」カットされた箇所
   エピソード1
   エピソード2
   エピソード3
   エピソード4
   エピソード5

「完全版」とするよりも「テレビ放送版」としたほうがいいので、以後、4時間20分版は「愛と哀しみのボレロ テレビ放送版」とする。正確には(フランスでの1983年のテレビ放送版)だが。


 BSシネマでの「愛と哀しみのボレロ」はいわいるレターボックスサイズ、正確には、横2.35、縦1 とする比率 2.35:1のシネマスコープだ。

 完全版とタイトルのついたLDの「愛と哀しみのボレロ テレビ放送版」は、横長テレビのない頃のテレビサイズであるから、横4、縦3で、1.33:1 のスタンダードサイズだ。同じ場面を見てみると、

 このようになる。
 ボレロを踊るジョルジュ・ドンの足元まで写っている。

 昼の場面にして比較してみよう。
 シモンとアンヌがナチの強制収容所へ連れて行かれる途中、停車した駅で列車から子供を下ろして捨てたが、戦後、生き残ったアンヌは子供の消息を調べに楽団員と共にやってきた場面だ。


 映画版とテレビ版の同じ場面の映像を重ねてみよう。青枠で囲まれたところが映画版の映像である。


 映画「愛と哀しみのボレロ」の画面比率はシネマスコープだが、撮影はアナモルフィックレンズ(映画フィルムでワイドスクリーンを撮影・再生するための特殊なレンズ)を使って撮ったのではなく、スタンダードサイズかヨーロッパビスタサイズ(1.66:1)で撮影されたと思われる。その上下をカット(トリミング)してシネマスコープのサイズにした。見て明らかなように映像の情報量はテレビ版のほうが多い。
ご参考 → アナモルフィックレンズ・シネマスコープ(ウィキペディア)

 どんなカメラで撮影されたのだろうか。
 映画版のラストはさほど天気の良くないパリの空撮にクレジットが流れる。テレビ放送版のラストは「愛と哀しみのボレロ」のメイキングシーンにクレジットが流れる。撮影風景が写り、撮影に使ったカメラが見える。
(上のYouTube画像、「愛と哀しみのボレロ」の予告編にそのラストのシーンが入っている)
 同時録音もするから、カメラは防音装置で覆われているのが分かる。

 映画のデータベース IMDb の Les uns et les autres(1981)にあった撮影風景の写真。監督のクロード・ルルーシュとシモン役のロベール・オッセン

 多くのシーンに使われているのはフィルムマガジンがカメラの後部にある、ドイツ製の Arriflex ARRI 35mm BL2 だ。このカメラは1975年頃にリリースされた。
「愛と哀しみのボレロ」の撮影された1980年頃は Super 35 方式(フィルムの音声トラックを取り除いて横24mm、縦18mmで撮影し、後にトリミングによって、スタンダード、ビスタサイズ、シネマスコープにする)はない。それが使われだしたのは1986年の映画「トップガン」あたりからだ。だが、1981年の「愛と哀しみのボレロ」はそれと同じことをやっている。
ご参考 → 映画の撮影・上映方式 5 スーパー35方式
 映画版とテレビ版を見比べてみると、構図的にはテレビ版のほうが決まっているが、上下が冗長だとも言える。映画版とテレビ版の二通りを作るために使った撮影方法だったのだが、テレビ版のほうが画面が上下に広いため、観ていて特をした気分になる。

 かつての富士フィルムのレンズ付きフィルム「写ルンです パノラミック」を思い出す。レンズは25mmの広角で、中には普通の35mmのフィルムが入っているが、上下にマスクが備えてあって、それによってトリミングされてフィルム上には横長に写るようになっている。現像プリントに出すと、横長のプリントになって渡される。私は一度だけ使ったことがある。

長崎のグラバー邸から(1990年7月 写ルンです パノラミックで撮影:上下の黒はフィルム上のイメージのない部分と思ってほしい)
 写真用の35mmフィルムは横が36mmで縦が24mmだが、「写ルンです パノラミック」では黒の部分は使われない。見れば分かるように写真の両端は光量不足になっている。使い捨てカメラのレンズはプラスチックであって精度はよくないのだ。もしトリミングを外してフルサイズで撮ったとしても上端、下端も光量不足だろう。

 映画版の「愛と哀しみのボレロ」は「写ルンです パノラミック」のようなフィルムの上下をトリミングした後、フィルムの縦幅に拡大、左右を圧縮してシネマスコープとして公開用フィルムにしたものだ。普通、そのようなプロセスを経れば映像の劣化は避けられない。それでも、BSシネマで観た映像はきれいだった。

追記:
 1983年に日本ヘラルド、パイオニアから発売されたレーザディスク2枚組で3時間4分の「愛と哀しみのボレロ」が11,000円で発売された。
「この作品は、劇場公開版をフィルム・トリミングして完全収録したものです」と明記されている。
 大きく写っているのにシネマスコープサイズにトリミングされた映画をさらにテレビ用にトリミングしたものだから、左右がさらに狭まった映像だと思う。
 私が初めて「愛と哀しみのボレロ」をテレビで観たときは、多分このサイズだと思っている。今でもオークションでこのLDが出品されているが、わざわざ、それを買って確認する気はない。

「愛と哀しみのボレロ 完全版」のLDを手に入れて観たいと思う方のために以下に情報を書いておく。
愛と哀しみのボレロ 完全版
3枚組(5面)4時間20分
(番号:OML-1009)
OMAGATOKI CORPORATION
販売 株式会社 新星堂
販売元:IVC: ビーム・エンタテイメント/アイ・ヴィー・シー
1995年5月21日の発売

3時間4分版のレーザディスク(2枚組)
(番号:FY042-45HD)


← 映画「愛と哀しみのボレロ」の研究


映画とテレビの公開日
映画版
 映画のデータベースである IMDb( インターネット・ムービー・データベース)で、LES UNS ET LES AUTRES で調べてみると、映画版の公開は、1981年5月27日でカンヌ映画祭であるが、フランスでの公開日でもあるようだ。2013年に発売されたデジタルリマスター版の解説では「フランスでは公開時に300万人を超える観客を動員、大ヒットを記録した」と書いてある。上映時間は3時間4分、デジタルリマスター版も同様だ。
テレビ放送版
 フランスでテレビ放送されたのは、1983年9月30日(金)で、TF1(テレビフランス1)でテレビ・ミニ・シリーズとして、1回52分を5回のエピソードに分けて放送された
 2回目は1週間後の10月7日、以後、金曜日ごとに合計5回放送され、10月28日が最終回だった。合計4時間20分(260分)である。

 フランスでのテレビ放送版との違い、映画版ではカットされた部分をチェックするべく、BSシネマから録画した映画版を左の縦型のディスプレイに、LDのテレビ放送版を右の横置きのディスプレイに写した。同じ場面から、よーいドン、と競争させるように、同時にプレイボタンを押して観始めた。だが、しばらくするとスピードの違いが出てきた。

映画版が4%速い
 左の映画版のほうが速く、どんどんと先に進む。映像が速いならば音声も速くなる。LD版がどんどん引き離される。おーい、待ってくれ~!
 途中で映画版をポーズ状態にしてLDが追ってくるのに合わせた。それを5回ほどやって両方の映像をチェックしたところ、冒頭のボレロを踊り始めるところから、パリに進駐したドイツ軍の軍楽隊長になったカール・クレーマーが見学に来たエブリーヌにメモを軍服に突っ込まれるシーンまではカットがない。映画版もテレビ放送版も同じである。ただ映画版のスピードが速いのだ。
 そこまでの双方の時間を測ってみた。
BSシネマ版
4時間20分のLD テレビ放送版

23分58秒(1438秒)


24分58秒(1498秒)

 映画版はテレビ放送版よりも1分速いのだ。テレビ放送版を1とすると、0.9599となる。
 BSシネマでの映画は、NHKで作ったタイトルとエンドタイトル(出演者の名前など)を取り除くと、2時間56分(Runtime)である。だが、映画「愛と哀しみのボレロ」は3時間4分とデータベースにはある。その短縮率を計算すると、0.9565なのだ。
 結論をいうと3時間4分の映画を2時間56分に縮めた(縮まった)のである。映像をカットせずに、フィルムのコマ(以下フレームという)を4%ばかり抜いたのだ。

フレーム補完
 映画は24フレーム/秒だ。1秒間を24枚の画で構成している。日本やアメリカのテレビはNTSCで30フレーム/秒である。映画をテレビで写すときは6フレーム分を補完する処理をする。そうしないと早送りをして見るのと同じになってしまう。
 フランスはSECAM方式、イギリスのテレビはPAL方式で、いずれも25フレーム/秒である。24フレーム/秒の映画フィルムと近いことから、本来なら1フレームを補完しなければならないのだが、それをしないという。
PALやSECAMの毎秒25フレーム方式ではフィルム映像のフレームレートとの差が僅か(4%)である事から、特に複雑な変換作業を行わずにそのまま各フレームを2回ずつ走査して奇数フィールドと偶数フィールドとする。映像の動きは4%速くなり放映時間はその分短くなるが、鑑賞者には気付かれない無視できる範囲と見做されている。ただし音声信号も同じ割合で「早送り」されてしまう為、そのままでは全ての音程が半音の2/3程上昇してしまう。この変化は特に音楽作品では無視できないので、音声信号のピッチ変換を行う。(ウィキペディア:テレシネ
 上の説明では、奇数フィールドと偶数フィールドという言葉が出てくる。インターレース走査のことで、昔からのテレビの映し方で、チラツキを防止するために、フィールドは 1/60秒で、それを2度やることで、1/30秒のフレームにしている。今では 60i という。
 デジタル化でテレビは液晶表示、さらに補完技術が発展し、フレーム補完をして60フレーム/秒、120フレーム/秒のプログレッシブ走査ができるようになっている。また、映画の味を出したいと、24フレーム/秒にできるテレビもある。24p、30p、60p、120p といっている。(詳しく知りたい方はインターレース、プログレッシブで調べてみるか、下の動画を参照してくだされ)

 BSシネマの「愛と哀しみのボレロ」はSECAM方式の4%短くなったものを、そのままNTSCにしたものなのだ。それとも、映画のフィルムからNTSCにテレシネをするときに、故意に、3時間以内の 視聴、放送に抑えたかったからフレーム補完を4%少なくしたのか。どちらにせよ、フィルム→NTSCあるいはSECAM→NTSCの変換をちゃんとやっていない、ということだ。
 4時間20分の「愛と哀しみのボレロ テレビ放送版」はSECAM方式の25フレーム/秒をNTSCの30フレーム/秒にちゃんと変換している。

 テレビは電気で写るものだから、アメリカ、日本のNTSCが30フレーム、イギリスPALやフランスSECAMの25フレームは、電気の周波数の60Hzと50Hzに準じているのだ。(フランスの家庭用電源は220Vで50Hz)
 一つの国、しかも島国なのに、交流電源のサイクルが東と西とで異なるという世界でも稀な国である日本。かつて大阪で買ったレコードプレーヤーを東京で使うとテンポが遅れ、声が低くなると言われた。同じ100Vの電気でも大阪は60Hz、東京は50Hzで、当時の安価なレコードプレーヤーは東京では回転が遅くなってしまうのだ。1.2倍に時間が伸びる。2割も伸びるとたちまち音の違いが分かってしまうが、BSシネマの「愛と哀しみのボレロ」のように4%ぐらい速いのは並べて見比べる時にしか分からないものなのだ。

 東京で蛍光灯の照明でビデオ撮影をすると、出来上がった映像がちらつく。ビデオカメラは30フレーム/秒なのだが部屋の照明が50Hzであるからなのだ。そのため、白熱灯、ハロゲンランプなどを天井に向けて照明し、蛍光灯の光のチラツキを消して撮影していたことを思い出す。

市販DVDでも時間が異なる
dvd176min
 2時間56分の版(176分)は、BSシネマ以外では、DVDとして1999年に日本ヘラルド映画(株)が販売したものがある。
 何故こんなことをしたのだろうか。どこかの国で3時間以内にしてほしいという要望があったのだろうか。以後、その版がNHKでテレビ放送され、かつDVDになってしまった。
 しかし、時間は8分ほど短いが、映画の特定のシーンをカットしたものではないと私としては思っている。(見比べをしてはいないが)

 まっとうな3時間4分(184分)版は、紀伊國屋書店が2013年発売したHDニューマスター版のDVDとブルーレイである。
dvd_184min
 4%縮めたBSシネマと4時間20分のLDを比較してカット部分をチェックする作業は、この時間差のためにやり辛くなった。
 それで、紀伊國屋書店が2013年発売したHDニューマスター版のDVD(3時間4分)を手に入れた。
 さっそく、冒頭のボレロを踊り始めるところから、ドイツ軍の軍楽隊長になったカール・クレーマーが見学に来たエブリーヌにメモを軍服に突っ込まれるシーンまでをテレビ放送版のLDと見比べた。ぴったりと合っていた。BSシネマ版及び1999年の日本ヘラルド映画版は明らかに放映時間を4%縮小したものだ。
 よって、カット場面のチェックには3時間4分版を基準にして行う。

← その1 画面アスペクト比の違い
→ その3 「愛と哀しみのボレロ」カットされた箇所


 映画版とテレビ放送版の比較はページが長くなるため、テレビ放送版のように5つのエピソードに分けて説明をする。以下のリンク先から見て頂きたい。

エピソード1
冒頭のボレロの踊りから、シモンとアンヌが収容所に入るまで
エピソード2
カーラジオを聴きながら家へ向かうアメリカのジャック・グレン→アンヌの子供探し
エピソード3
アメリカのジャック・グレンの兄妹たち→アンヌの息子は弁護士になっているが離婚話がでる
エピソード4
ジャックの仕事(馬の調教)から仲間とのいざこざまで
エピソード5
フランシス、ロベールとエディットとの会食からラストまで

「愛と哀しみのボレロ」カットされた箇所、という表題だが、この映画、テレビ放送版と映画版の2つを制作する企画だった。映画版は3時間余で1981年に劇場公開、テレビ版は4時間20分で1983年に5回に分けてフランスで放送された。撮影方法も2つのメディアに使えるように撮られている。
 よって映画版が完全(テレビ放送版)なものをカットしたものであるといういい方はおかしいと思っている。が、一般には分かりやすいと思えるから、あえて表題は「カットされた箇所」とした。

注意:
・完全版のレーザーディスクには、エピソード1の字幕はあったが、その後のエピソード2から5の字幕はなかった。レーザーディスクの片面で5面であるから、それをエピソード1から5として映画版と比較した。やってみれば物語としての区切りがいい。
・「愛と哀しみのボレロ」の映画を既に観て内容を知っている人のために作ったもので、筋書きや映画解説はない。

← その2 BSシネマ版は4%速い

愛と哀しみのボレロ

(映画版 3時間4分)

愛と哀しみのボレロ テレビ放送版
エピソード1(50分24秒)
( 全5エピソード 4時間20分)

映画版にないシーン

 冒頭のボレロを踊り始めるところから、パリに進駐したドイツ軍の軍楽隊長になったカール・クレーマーが見学に来たエブリーヌにメモを軍服に突っ込まれるシーンまではテレビ版も同じである。
この間、24分58秒

【25分56秒】

この間 1分39秒

 パリに進駐したドイツ軍の行進を見ているシモンとアンヌ。
 高台からパリを望遠鏡で見るドイツ軍兵士。
 ノートルダム寺院の横のセーヌ川の河岸でボクシングの練習をしている親子。
 子供は後にプロボクサーになるフィリップ、これ以後の登場シーンはマルセイユからの列車の中になる。アルジェ戦友の5人の中では、一番の年長者と示される。
 ドイツ軍楽隊のカールがドイツ兵士とルーブルのサモトラケのニケを見学している。
 ここからカールの妻マグダへの手紙が朗読される。
 カメラは彫像を追って上へ、そして右へ下がると、マグダと私服のカールがいる。カールは新婚旅行かでパリを訪れたときのイメージであろう。


ドイツでカールの手紙を読むマグダ


【26分08秒】

この間 44秒

 楽団の指揮者の住まいへ行くシモンとアンヌ。
 そこにかぶるレジスタンス運動のナレーション。
“さし当たりできる事をすればよい 積極的方法でも消極的方法でも構わない 敵を倒すことが目的である 甘い顔を見せれば彼らは居座るであろう 国中が略奪され骨抜きにされてしまう フランスが自らの意志で屈服したり―― ヒトラーやムッソリーニの横暴を―― 甘受してはならない それは国を売ることである”


エブリーヌの店
新年の祝い
この間 1分39秒


【28分50秒】

この間 47秒

 エプリーヌの店の主人の子供誕生の知らせを電話で受ける。(この主人はシモンとアンヌが働いている劇場の支配人でもある)
 主人の電話の会話、
「3キロ半? 男の子か? ありがとう うれしいよ うん おめでとう」
「息子ができたぞ!」
(後に医師になるアルジェ戦友の一人、フランシスが生まれたのだ)
 主人は店の女に息子の誕生をふれて回る。エブリーヌとカールはダンスを踊っている。
フランシスのナレーション:
“僕は1941年の数分前に生まれた この物語のナレーター 大晦日の23時55分だった 元旦に生まれる幸運を5分の差で逸したが――他人に比べれば運のいい方だ 盛大にシャンパンが抜かれた 父は金持ちで――戦争など初めはどこ吹く風だった あとで対敵協力者と呼ばれるようになる”
 カールはエブリーヌに財布に入っている家族の写真を見せている。

 エブリーヌ、カールのピアノを聴いている。
 シモンとアンヌと楽団の仲間がラジオから流れるカールのピアノを聴いている。
この間 1分26秒

【30分17秒】
フランシスのナレーション続き:
“僕はまだ小さかったが――そのためか親父に似たくないと思うようになった”

この間 44秒

 モンマルトルのサクレクール寺院前の階段で踊る楽団員、ドイツ兵士が撮影している。それを見ているシモンとアンヌ。シモンが、「いいけど 何だ これは?」
「ニュース映画 ドイツのよ」

ソ連のボリスの出征
パリ、変わった馬車がくる
この間 1分14 秒

【31 分31 秒】

この間 56秒

 ユダヤ人家族の仕事場、父親と息子が手を動かしている。
 妻が来客を知らせると、子供はその場を離れる。
 ラジオ放送:
“只今から国家主席ペタン元帥の放送があります フランス国民諸君 外国にいる一部の軍人が私の命令に逆らっている”
 来客は知り合いだったため、ダンボール箱に隠れていた子供が出てくる。
「何しているの」
「隠れるのさ」
“……デマに惑わされてはならない 現実は厳しい 私が要請している秩序を守らなければ――国家が危ないのだ 私が指導を続けるから諸君は従ってほしい”

 小学校の教室での割礼跡のチェック。
 小学校の先生が出征中の夫に手紙を書いている。
 ユダヤ少年の家にナチスが来て連行される。シモンとアンヌと子供も連行される。
 パリ東駅で強制収容所行きの貨車に乗せられる。
 途中の停車駅でシモンとアンヌは子供を貨車から降ろす。
 通りかかった自転車の男がそれを発見して、遠くの教会に子供を捨てる。
 子供をあやす神父の母親と電話で姉に連絡する神父。
この間10分36秒

【42分11秒】

この間 1分17秒

 シモンとアンヌは霧深い収容所へ到着する。カメラは到着した人を出迎えるように右から左に移動する。
 ナレーション:
“抗議も反対もない 足音だけが続いた 見ざる 聞かざる 言わざる 死刑執行人はもちろん犠牲者すら黙っていた”
 収容所の門に入るシモンとアンヌ、それを追ってカメラは左から右へ移動する。やがて男女別に分けられる。
(ナレーションはなく、音楽がかすかに流れている)
この間 1分57秒

 ナレーション:
“その理由は簡単だ 「大きな嘘は目立たない」と言ったヒトラー 彼は大量殺人を「最終的解決」と呼んだ ユダヤ人問題を「解決」したのである ガス室はシャワー室と思わせた 死体焼場は「殺菌室」 収容所の入口には―― 「労働は解放である」と書いてあった 「解放」は死 「愛」は拷問であり――名前は番号に変えられた 最大の欺瞞はこのオーケストラであろう 慰問のためと称してガス室の前でも演奏させた ナチスの学者はひどい理屈をこさえて―― ユダヤ人を悪者にした エジプト脱出以来 逃げ続けているから―― 悪い民族に違いないというのだ 無実なら逃げないって”
44分09秒
50分24秒

← その3 カットされた箇所
「愛と哀しみのボレロ」

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