続蘿洞先生
谷崎潤一郎
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注:校正は完全になされてはないことをご承知の上、お読みください。
2018年12月17日現在(悠悠炊事)
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例の蘿洞らどう先生が近頃奥さんを貰ったと云う噂がある。真偽は保證の限りでないが、しかし先生のことであるから、こっそり世間に知らせずに結婚し、何喰わぬ顔で澄ましていると云うようなこともないではなかろう。兎に角誰もほんとうの消息を知っている者はないのだが、今回も亦妙な因縁いんねんで、あの時のA雑誌記者がそれに関係しているのだと云う話。そして噂も右の記者から出たのである。
A雑誌記者は、いつぞや先生と蒟蒻こんにゃく問答をして以来スッカリ恐れ入ってしまい、あれきり訪ねたことはなかった。ただ先生があれから間もなく大学の教授を罷めたのを新聞紙上で知っただけだった。ははあ、教授を罷めて著述の方をやりたいと云っていたから、いよいよ引退したんだなと、記者はその時そう思ったけれども、その後どんな著述をしたか、何を研究しつつあるか、多分専門の学術雑誌にでも発表されているのだろうぐらいに考えて、あまり問題にもしなかった。その間に数年を経、記者の方も今ではA雑誌社を退いてB新聞の演藝記事を担任していた。
で、去年の三月中の或る晩の八九時頃、以前のA雑誌記者ことB新聞記者が浅草公園へ行ったついでに、ちょうどその時分昭和劇場にかかっていた夢遊斎むゆうさい一座の奇術を覗いたことがあった。記者は奇術が好きなのではないが、此の一座には往年の歌劇の残党が加入していて、その中に二三の顔馴染があったものだから、なつかしくなって立ち寄ったのである。そして楽屋を訪ねた帰りに舞台の袖から演技を見ていると、その時図らずも不思議なものに眼が止まった。オヤオヤ、此れはおかしいぞ、蘿洞先生がこんな所に来るのかしら?―――記者は最初は人違いであると思った。と云うのは、今しも舞台では奇術の合間にバレエ風の女優の踊りが始まっていて、五六人の若い踊り児のはだかの脚が入り乱れつつある向うに、客席の一番鼻からそれを見物しているお客の顔が、見れば見るほど蘿洞先生に似ているのである。尤も舞台とその顔との間には一列の脚光がぎらぎら燃えているためにはっきり見定めにくいのだが、口を半分ほど開けて、白い歯を出して、にやにやしながらひっつり・・・・のような薄笑いを浮かべつつ見ている表情は、あのいつぞやの無気味な笑い方にそっくりである。勿論記者の位置からは顔の下はよく分らない。ただ顔だけが、さらし首のように舞台の地平線の上へ出ている。先生の顔はたしか青ん膨れであったのに、その顔は赤味を帯びているのが違った感じを与えるけれども、それも脚光の反射のせいであるかも知れない。―――記者がそう思っているうちに、やがて舞台では脚光が消えて、赤、青、緑、紫、と色電気がぱっと射した。それにつれて又その蘿洞先生の首が赤、青、緑、紫に変るのが餘程奇妙な見ものであった。
だがどうもおかしい、いくら畸人きじんであるにしても、あの北向きの書斎の中に閉じ籠っている筈の、独身者の、人間嫌いの、学者の先生が、こんな時刻に公園へ奇術を見物に来ていようとは。―――果して先生であるとしたら、此れには何か特別の目的があるのではないか。―――B新聞記者はそこは商売柄だけに好奇心を起して、舞台裏から表へ廻って、廊下から場内を窺ってみた。すると此の小屋は階下の中央に三等席があって、その両側が一段高く、特別席の椅子場になっている。問題の男は、その特別席の一番前、殆どオーケストラ・ボックスの側面の所にいるのである。蓋し此の場所は奇術のアラさがしや女優の脛を拝むためには究竟くっきょうな位置であるけれども、ちょうど以前の帝劇に於ける貴賓席の如きものだから、お客自身も甚だ人目につき易いことを覚悟しなければならぬ。おまけにその晩の特別席はガラ空きの形で、見渡したところ、くだんの男だけが一人ぽつねんと、その突角に離れ島を作っているのである。二重廻しに鳥打帽を被っているのが、今しがた幕間になったので、帽子の鍔を深く引き下げ、顔の半分を外套の襟に隠してうつ向き加減にしているのは、矢張極まりが悪いのであろう。B新聞記者はこっそりその男の後ろの席へ忍び寄って、背中の方から帽子の庇を覗き込んだ。
「やあ先生でいらっしゃいますか、いつぞやは大変失礼を。―――」
そう云ったのは、実はまだ確かに見当がついたのではない。たとえ先生であったにしても素直に化けの皮を現わすかどうか分らないから、出し抜けに斯うカマをかけてみたのである。
「う、………」
と云ってその男は、ぎょっとしたらしく身をすくめて、後ろ向きに肩の角から睨めつけるように見返したが、その「う、………」と云う声をきくと、もうどうしても先生に違いないことが分った。記者が嘗て悩まされたのは、此の曖昧な、おくびだか返辞だか判明しない「う、………」と云う受け答えなのである。こんな煮え切らない声を出す動物は先生の外にはめったにあるまい。
「あのう、御記憶でいらっしゃいますかどうですか、―――もう餘程前、三四年以前に、一度お宅へお伺いいたしましたA雑誌の記者でございますが、………」
「はあ、」
わたくし、唯今ではA雑誌の方を罷めましてB新聞社に出ております。―――失礼でございますが、」
と云って、記者は丁寧にお辞儀をして、『B新聞演藝記者』と云う肩書のある名刺を出した。先生は片手をふところに、片手で煙草を吸いながら、記者が捧げている名刺の上へチラリと一瞥を与えたきり、その孰方どっちの手をも動かそうとしないので、記者の方でも引っ込める訳に行かず、暫く根競べの体であったが、先生もバツが悪くなったと見え、不承々々に煙草を捨てて手を伸ばした。そしてその名刺を袂へ入れしなに、ほんの申し訳に眼を通したが、その時無表情な先生の顔に何かしら微かな色が動いたのを記者は見逃してしまったらしい。
「今晩は―――あのう、………どなたかお連れでも?………」
「う、………いや、………」
「はあ、おひとりで?」
「う、………うん、………」
「はあ、………では此の辺まで御運動に?………」
「う、………うん、………」
此処で又しても蒟蒻問答が始まりかけた。しかし記者は馴れているから驚きもしないで、
「けれども先生のお宅からは隨分遠方でございますなあ。―――なんでございますか、お宅は矢張以前の所に?」
「うん、彼処におる。」
「はあ、左様で。―――ときどき公園などへいらっしゃるのでございますか。」
「う、………いや、………」
「へーえ、すると今夜はわざわざ此れを御見物にいらっしゃいましたので?」
此の質問が眼目なのだが、なかなかオイソレと要領を得させる先生ではない。
「なあに、わざわざと云う訳でも、………」
「妙なことを伺いますが、先生のような方は芝居や活動などよりも、或は斯う云う奇術のようなものがお好きなのではございますまいか。」
「………まあ、………好きと云うのでもないがね。」
此の「ないがね」の「ね」と云う音には微かながらも親しみがあって、先生としては餘程御機嫌の場合である。記者は意外に感じたのでひょいと先生の顔を見上げると、尚意外なことには、物を云う時決して相手を正視しない人だったのに、それが今日はどうした加減か、あの臆病な、処女のような眼つきでではあるが、遠慮がちにじーッと此方を見つめながら、口もとには愛嬌笑いさえ浮かべているのである。飛んだ所を見附かったので照れ隠しの積りなのかも知れないけれど、何しろ此れはただごと・・・・ではない。薄気味が悪いくらいである。
此の時次の番組が始まったので、二人はそれなり黙り込んで舞台の方へ向き直った。記者はいつの間にか先生と肩を並べて隣りの椅子に腰かけていた。舞台ではマジック応用の喜歌劇「若返り法」と云うのが一座総出の出演で、此れが打ち出しであるらしい。記者はそんなものにまるきり興味はないのだが、それに気を取られているように見せて内々お隣りの様子を窺うと、先生は例に依って格別面白そうな顔つきをしてもいないけれども、しかし案外熱心に、脇目もふらずに見物している。何楽しみに生きているのか分らないような、年中浮かぬ色つやをした先生が、これだけ一つものを辛抱強く見ているとすれば、たとえ顔には表われないでも何かしら享楽してはいるのであろう。とすると一体、何が気に入ったのであろうか。学者と云うものは却って単純な子供じみたことを興がるものだから、奇術そのものが好きなのであろうか。それとも一座の女優の中に思し召しでもあるのであろうか。
記者はとうとう好奇心に釣られて最後まで先生のお附き合いをしてしまったが、先生も亦、退屈な出し物を実に根気よく、打ち出しになる迄見物していた。二人は自然一緒に小屋を出て、廣小路の方へ歩くことになった。
「ええと、電車でお帰りでございますか。」
「う、………うん、………」
「それでは停留場までお見送りを、………」
見送られては迷惑なのかも知れないが、相変らず先生は返辞をしないので、記者はずうずうしく喰っ附いて行った。そして何がな話のつぎ穂を見出そうと考えていると、途端に先生の口の中で「う、………」と云う音がして、喉がごろごろと鳴ったように思えた。
「は?」
と云って記者は、何か云い出そうとしているらしい先生の気勢を抑えた。
「う、………あのう、………」
「はあ?」
「………君は演藝の方の記者をしている?………」
「はあ、………」
「君は、ああ云う所へは始終出入りをしているの?」
「始終と云うこともございませんが、あの一座には顔馴染の者が大分這入っておりますので、ついでにちょっと寄ってみたのでございます。………」
「はーあ。」
と云ってから、暫く考えた後、
「あの中に生野真弓と云うのがいるね、さっきしまいの幕で踊った、―――」
「へえ、どんな男でございましたかな。」
「いや、女だよ、断髪のせいの高い、亜米利加の国旗で出来た衣裳を着ていた、―――」
「へえ、へえ、あれ、―――あれは私は存じませんが、生野真弓と申しますかな。」
「うん、プログラムにそうある。」
ふうん、先生なかなか油断がならない。―――記者がそう感じたと云うのは、その女優は誰の眼にも一と際すぐれた美貌の持ち主で、記者自身も今夜始めてその女を舞台で見た時、こんな美人が此の一座に居たっけかなと、驚いたくらいだったのである。年の頃は二十二三か、短いスカートの脚の恰好もすっきりしているし、全体の四肢の均整も申し分がない。ただ難を云えば目鼻立ちが餘り典型的な希臘式に出来過ぎていて、愛嬌に乏しく、品はいいけれども人形のような堅い感じがあることである。
「へえ、あの女優は、あれは夢遊斎の弟子ではございませんかしら。―――あの一座には歌劇の残党が加わっておりまして、その方の連中ならば大概知っておる筈なのでございますが。」
「う、………」
先生の喉の中が又ごろごろと云う音を立てた。
「………どうかしら、君、あれを調べて貰えんかしら?」
「へえ?」
「あれは、あのう、………おかしいんだよ。………」
「おかしいと申しますと?………」
「気が付かんかね?」
「さあ、どんな事ですか、気がつきませんでしたけれど、………」
「あの女優だけは舞台で一と言もセリフを云わなかったろう?」
「はーあ、そうでございましたかなあ。よくそんなことに気がお付きになりましたなあ。」
「いつもそうなんだよ、あの女は。」
「へーえ、たびたびあれを御覧になっていらっしゃるんで?」
「う、………うん、………」
大分御執心ごしゅうしんと見えますなと、うっかり口をすべらすところをグッと抑えて、記者は油をかけるような調子で、
「するとあの女は唖ですかな。」
「まだおかしい事がある。素足を出したことがないんだよ、今迄に一度も。」
「素足を?」
「うん、………」
やがて停留場へ来てしまったのに、先生は電車へ乗りそうにもしないで、上野の方へ歩きながら記者を相手に話すのである。その話し方が、ぽつりぽつりと、うんざりする程テンポが緩いので、一と通り合点がてんが行く迄聴き終るのは容易ではなかったが、断片的な言葉の後先あとさきを継ぎ合せた上で記者の憶測を加えてみると、大体こう云うことなのである。―――夢遊斎の一座は内地から満鮮地方を始終巡業しているのだが、先生は生野真弓を発見して以来、二三年前からその一座が東京へ廻って来るたびに缺かしたことがなかったらしい。時には同じ出し物を二た晩も三晩も続けて見に行く程だったので、そのうちに段々、次のようなことが分って来た。と云うのは、真弓のする役は、たとえば美人の胴切りとか、首無し美人とか、魔法のトランクとか云うようなものへ使われる場合には黙ってニコニコしていれば済むようなものの、その外に又、歌劇の方やバレエの方へも出ることがある。そうしてそう云う場合にはいつも必ず無言の役ばかりしている。最初先生は、此の女は顔は綺麗だがセリフも碌々云えない程の馬鹿なんだらうと思った。しかしそれにしても一と言も云はないのは餘り変だから、次には唖ではないかと思った。が、どうも唖でもないらしい。と云うのは、歌劇の時にソロを唄うことはないけれども、コーラス・ガールに加わって合唱することはあるのである。それも口だけを動かしているのではないかと思って、いろいろ苦心して、成るたけ前の方の席へ行って探ってみたが、ちゃんと彼女が肉声を発して唄っているのが聞き分けられた。ところが或る時、たった一度彼女が舞台で長セリフを云う役に扮したことがあった。それは鼻がふがふが・・・・になった汚い乞食婆さんになったので、頬冠りをして思い切り垢だらけになって出て来た。だからそれが真弓であることを観破したのは恐らく先生一人ぐらいで、大概のお客はそうとは気づかずに、その乞食が一と言云う毎にアッハ、アッハ笑い転げた。それ程そのふがふが・・・・の発音は真に迫っていて、その役は大当りだったのである。しかし何故かプログラムには真弓の名前が記してなく、ありもしない俳優の名が刷ってあった。ここに於いて先生は膝を叩いて遂に此の美女の秘密を掴み得たと信じた。ははあ、そうか、梅毒か何かで鼻の天井が抜けているのだなと思った。
然るにもう一つ分らないのは此の女が素足を出さないことで、元来足の崇拝狂者たる先生は、実は此の方が先に心づいてもいたし、餘計気になってもいたのである。魔法のトランクやキャビネットから現われる場合に、外の女は脛から足を裸にしていることが多いのに、此の女に限って必ず薄い靴下を着けている。五六人が一緒に踊ったりする時にも、外の踊り子は凡べて素足で、一人だけがきまって浅い絹のくつを穿く。さればといってトー・ダンスをさえ達者に踊るくらいであるから、決してチンバではあり得ない。或る時園遊会の場面へ大勢の女たちが浴衣がけで登場したのに、矢張彼女だけが足袋を穿いていたのを見て、此れは彼女の一種の気取りなのではないか、素足を出すことが趣味として嫌いなのではないか、と、そう先生は解釈してみた。けれどもそれも腑に落ちないようなところがあって、足の秘密は今以て疑問に属している。―――
「へへえ、面白いですなあ。そう云う訳なら一つ私が探索してみてもよろしゅうございます。」
「う、………うん、………そうして貰いたいんだが、………」
「なあに、訳はありません、幕内の者に聞いてみれば直ぐ分ります。」
「新聞に書きはしないかい?」
「大丈夫書きはいたしませんよ。鼻がふがふが・・・・だなんて、そんなことを書いたら可哀そうですからなあ、あれだけの美人を。」
その晩先生は新聞に出さないことと、探索の結果を忘れずに報告してくれることとを、まどろっかしく、くどくど・・・・と、頻りに記者に念を押した。上野で記者に別れを告げて省線電車に乗る時にも、
「ではいいかね、頼んだぜ。」
と又繰り返した。
蘿洞先生と鼻ふが・・の美人の女優、―――此れは誰でも好奇心を起さずにはいられない事件である。三面記事として破天荒の珍種ちんだねであるのに、新聞に書けないのは残念だと思いながら、記者も面白半分に探索の歩を進めて、その後幕内の俳優たちにそれとなく様子を尋ねてみると、彼女が鼻ふが・・であることは正しく蘿洞先生の推定の通りであった。が、足に就いては誰もハッキリしたことを知ったものがない。というのは、彼女は内部の人々にさえ決して足を見せたことがなく、楽屋風呂へも一人でなければ這入らないのだそうである。だから何かしら足に故障があるに違いないけれども、どう云う故障だかよく分らない。ただ彼女と一番仲のいい女優があって、その女の話として伝っているところでは、後にも先にもたった一遍一緒に入浴した時にチラと見たのだが、右の足だか左の足だかのゆびが、一本か二本なくなっているのだという。そうしてそんなことが仲間うちへ知れ渡ってから、誰云うとなく、彼女は梅毒の上に天刑病らしいという説がひろまった。それで自然あれだけの器量を持ちながら、自分も人に接することを喜ばないし、男優共も近寄る者がないと云うのである。
「ほんとうだかどうか分りませんがね、みんな何となく気味悪がって誰も相手にしないんですよ。」
と或る俳優は記者に云った。
「でも、皮膚の色が透かしてみると紫色に光っているとか、いやにテラテラしているとか云うようなことがあるのかね。」
「そんなことはありません。色は真っ白で、肌理きめは細かで、ただ見ただけでは綺麗なもんです。その餘り綺麗過ぎるのがイケナイと云うんです。」
「ほんとうだとすれば気の毒なもんだね。」
「それより惜しいもんですよ。あれだけの代物しろものはそうザラにありゃあしません。」
それから二三日過ぎた日の午後である。久し振りに蘿洞先生の郊外の舊宅を訪れた記者は、あのいつぞやの応接間の卓を隔てて先生と向い合っていた。
「誰か、あの女の懸りつけの医者はおらんかい?」
逐一報告を聴き終った先生は、いつもの無表情な、どんよりした顔はしていたが、別にガッカリした風でもなかった。
「懸りつけの医者?」
「う、………うん、………それに尋ねたら分るんだが、………」
「そいつはむずかしい御注文ですなあ。そう云う者はおりませんでしょう。」
「足の趾がどう云う工合に取れておるか、天刑病は傷口に特徴があるんだが、………」
「そいつもどうも、………誰にも見せないと云うのですから、………」
「ふむ、」
そして先生は、庭の花壇の方を見ながら云った。
「わしが自分で調べてもいい。………う、いや、此処におっても材料さえあれば調べられる。………」
「材料と申しますと?」
「あの病気は洟汁はなしるに一番黴菌が集まる。洟をかんだハンケチか紙きれがあればいい。」
「へへえ、成る程、………それなら誰かに頼んで置けば手に入るかも知れませんな、あの女が風邪を引いた時か何かに。………」
「う、………そうして貰えんかな、五十圓で買うことにするが。………」

記者はその半月程後に、某俳優の助けを借りてやっとのことで真弓のハンケチを盗むことが出来、五十圓を山分けにしたそうである。が、検鏡の結果はどうであったか、先生からは何の音沙汰もなく、真弓の方は、夢遊斎の一座が六月に旅先で解散したので、行くえが分らなくなってしまった。しかし何処までも物好きな記者は、よもやとは思いながらも八月の末に或る日先生を訪ねてみると、「ちよっと差支えがあるから」という取次の言葉で玄関拂いを喰わされた。その後二度も行ったけれども、いつも同じような挨拶なので、一策を案出した彼は、此の前隙見をした時の小女こおんなを買収した。彼女は今まで先生の家に奉公していたのである。そして彼女の話では、先生は此の頃二十も違う若い奥様をお貰いになった。その奥様はお綺麗には違いないが、気取り屋なのか、器量を鼻にかけているのか、女中たちの前ではいつもつん・・と澄ましていらしって、直き直きにお声がかかったためしがない。用の時は旦那様に頤で指図をし、それを旦那様が女中たちに取次ぐ。その癖お二人で室内に籠っていらっしゃると、ドーアを固く締めて、中でペチャクチャおしゃべりをしていらっしゃるのが微かに聞える。何ぼ何でも随分威張った奥様だと云うのであった。
「ふふん、人を散々利用して置いて、今時分玄関拂いを喰わせるなんか馬鹿にしてやがる。」―――記者は癪に触ったので、又裏口の扇骨木かなめがきを乗り越えて、北向きの窓の下に忍び寄った。夏のことなので植え込みの葉が繁っているし、硝子障子とカーテンが半分ばかり開いていて、隙見をするには都合がよく、中の様子がほぼ窺われる。此の前小女が腰かけていた俎板まないたのようなデスクの上に今度はパジャマを着た真弓夫人が腰をかけ、脚をぶらんぶらんさせている。先生は例の郵便局員の如き上っ張りを纒って、夫人の下に跪いて、両手で彼女の左の素足をいじくりながら、何かしている。よく見ると先生の手の中には、蝋細工だか護謨細工だかの、殆ど実物にまがうばかりの足の趾がある。
「ね、これならお前のほんとうの趾も同じことだよ。どう? うまくはまった? 痛いかね?」
それを夫人の足に取り附けながら、とても甘ったるい調子でそう云っているのは先生である。
「ひひえ、ひっともひとうはなひわ。」
と、記者は始めて夫人の彫刻的な唇から洩れる声を聞いた。
(続蘿洞先生 了)

底本:「潤一郎ラビリンス Ⅱ マゾヒズム小説集」中央公論社
   1998(平成10)年6月18日発行
初出:「新潮」
   1928(昭和3)年5月號
踊り文字をなくしています。
入力:悠悠炊事
2018年12月17日作成
校正:悠悠炊事(2019年1月5日校正中)